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海賊王に俺はなる 『瀬戸内の海賊』【増補改訂版】

発売日: 2015/10/23
著 者: 山内 譲
出版社: 講談社
ページ数: 320p
ISBN: 978-4-10-603777-1

戦国時代、日本にはいくつもの水軍が存在していた。中でも最強と言われた村上水軍は、あの織田信長を撃退し、豊臣秀吉にも組することなく”自由と海”を愛していた。そんな海のサムライたちを束ねたのが、瀬戸内の海賊大将軍・村上武吉だった-。

上のコピーは2014年に公開された『瀬戸内海賊物語』のキャッチコピーである。

この本は、しっかりとした資料によって瀬戸内の海賊たちの様子を「能島村上氏」を中心にして書かれた海賊達の「伝記」である。

著者によると海賊には四つの顔があるという。 
①略奪者としての海賊
②時の権力に抵抗する海賊
③海域の安全保障者としての海賊
④権力の側に立つ水軍として海賊

海賊としての一般的なイメージは、①の略奪者という者であるが、瀬戸内の海賊達は、主に②~③だったようである。毛利元就らと組んで、織田信長に対抗したり、平常時は、瀬戸内の海域を安全に通るための警護をしたりしたいたそうである。その警護費や通行料が海賊達の資金になっていたのである。

瀬戸内の海賊の中でも、最も最強と言われていたのが、村上武吉率いる能島村上水軍だった。天文5年(1536年)に村上義忠の子として生まれた武吉は、叔父の村上隆重の支援もあり、親族同士の家督争いに勝ち、能島当主となった。

天文24年(1555年)の毛利元就と陶晴賢の厳島の戦いのでは毛利方に加担していたが、元亀2年(1571年)頃には公然と反毛利の姿勢を取ったりもした。その後、毛利氏が織田信長と戦うようになると、村上水軍は毛利方水軍として活躍した。

豊臣秀吉の時代になると、「海賊禁止令」が出され、武吉達は九州に移住させられる。朝鮮出兵では、息子である元吉が活躍した。その後、秀吉亡き後では、石田三成側に付き、徳川家康との戦いで元吉が戦死したそうである。武吉は、慶長9年(1604年)に72歳で没している。元吉の孫の道祖太郎は、後に毛利藩の御船手組頭役となり、再び海で活躍したそうである。

この本には、付録「海賊の世界を歩く」があり、今治から「しまなみ海道」を通っての村上水軍をめぐる旅のプランを示してくれている。ぜひ、時間を取って、めぐってみたいと思っている。

            

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